落語のごくらく

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現代を生きる全ての人の起源となる江戸時代の経済と庶民の暮らし

 

落語の起源は江戸時代にあります。

 

大衆の娯楽として、落語は生まれました。

 

現代でも落語は娯楽として、ブームを迎えています。

 

落語の演目の舞台は江戸時代であることが多いです。

 

もし、自分が落語を実際にやってみることになった場合、江戸時代の人々の暮らしや時代背景について知っておくと、言葉に重みが出るというか、演じる人にもリアルさが出てくるのではないでしょうか?

 

江戸時代の人々の暮らしや環境について解説していきます。

 

 

 

      

 

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政治・経済面

 

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江戸時代と聞いて思い出されるのが、徳川家康だと思います。

 

彼は織田信長が明智光秀に裏切られたことや、豊臣秀吉の最後も見てきました。

 

織田信長が天下であった時には、他の武将にも財力があり、いつ下剋上が起こってもおかしくない状態でした。

 

徳川家康は、織田信長時代のように、他の武将・大名に同じように財力を持たせたら、また信長と同じような繰り返しだと気づきました。

 

天下を取った時に、裏切りに遭わず、民衆がおとなしく静かに暮らしてくれるにはどうすればいいかを家康はひたすら考えました。

 

そこで他の武将・大名に財力を持たせないように『参勤交代』などの制度を駆使しつつ、下剋上が起こらない仕組みを作りました。

 

自分の敵を作らないように周りを貧乏にしたのです。

 

しかしながら、飢餓が起こるほどの大貧乏にしてしまうと庶民の暴動が起きてしまうので、徳川家康は庶民を『そこそこ貧乏』な状態で統治することにしました。

 

そこそこ貧乏であれば、下剋上も怒らず、かつ飢餓も起こりません。

 

お金=いやしいは徳川家康のせい!?

 

お金がいやしいものだというイメージは徳川家康による『そこそこ貧乏』統治が原因です。

 

ではどのようにして、そこそこ貧乏を作り上げたのでしょうか?

 

それは身分制度にあります。

 

武士は身分が一番高いというプライドを与えました。

 

そして庶民や農民には質素倹約こそが美徳であるという価値観を植え付けました。

 

唯一お金を持つ、商人は強欲で金にまみれたいやしいものとして、一番低い身分に設定されました。

 

この『お金を持つもの=いやらしい』という考えが、今でも私たちのイメージとして残されているのです。

 

 

商人の活躍

 

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さきほど、商人は強欲で金にまみれたいやしいものしましたが、家康は経済発展のため、この商人たちに有利な環境を揃えました。

 

参勤交代による人口移動・交通の発達、手工業の発達、市場拡大など商人活動には最適の環境です。

 

江戸時代の商人は大きく分けて2タイプいます。

 

①初期豪商

取り扱うものは幅広く、大きな特権を持った商人です。

 

お金持ち・権力者が商売相手でした。

 

②新興商人

江戸時代活躍したのは、初期豪商よりもこの新興商人でした。

 

初期豪商のように権力者を相手にするのではなく大衆の需要をターゲットにし、取り扱う商品も専業化しました。

 

経営理念・計画も整備し、堅実な経営を目指しました。

 

こうして初期豪商から新興商人へと主役交代しました。

 

代表的な新興商人は3つ紹介します。

 

 

 1.鴻池善右衛門家

 

酒造メーカーとして創業したのち、事業を多角化。

 

お酒は江戸では高級消費財で需要も増大しました。

 

落語にもお酒のネタが多いのもこの時需要が拡大したからかもしれません。

 

そのお酒を海で運ぶ海運業にも進出、その後海運業を通じてできた人脈を通じて、大名・商人へ貸付業を行い、金融業界に進出しました。

 

 

2.三井家

 

三井高利は52歳で『越後屋』(呉服店)を開業しました。

 

越後屋は革新的商法によって、開業から10年余りで大商人へと急成長しました。

 

従来は、注文を受けたらその宅まで持参したり、掛け商売をしていましたが、三井は店頭販売にすることで安く売ることを実現しました。

 

また三井も金融業界に進出し、三井銀行設立の基礎となりました。

 

 

 3.住友家

 

住友家は京都で薬屋と出版業を経営していました。

 

その後、同じく京都で銅吹所を経営していた蘇我家と融合しました。

 

蘇我家の長男が婿養子になったことによって、彼が住友家の長男となりました。

 

それによって、銅吹業が大きく展開しました。

 

その後、事業を多角化し貿易業や銅鉱山を経営しました。

 

 

働き方

 

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江戸時代は働き方にも革命が起こっていました。

 

①奉公人制度

落語でも、丁稚と言って小学生くらいの子供がお店で働き、よく『小僧とか定吉!』と呼ばれている描写があります。

 

奉公人は、事業周辺地域から採用されます。

 

基本的には、年功序列体制でございました。

 

丁稚: 雇用年齢は12~14歳(今の小学6年から中学2年くらいの歳)

    業務は店・家内の雑務+読み書きそろばん 

    無給で働くかわりに衣食住は家負担。

    お盆の期間のみ実家に帰れることが出来ます。

 

手代: 17~18歳でいよいよお店の実務を担当します。

    落語でも『~家の手代の~でございますが・・・』と話す描写があります。

    昔の17~18歳はすでに、大人の一員・社会人として扱われていました。

 

番頭: お店で一番の権力者。

    現代で言う店長的存在で、お店の経営を任されます。

    さらに、お店だけでなく、家の政経までにも関与することが出来ます。

    番頭になってからは、自分の家から通うことも可能になります。  

    落語でも、『番頭』という言葉はよく出てきます。

    とりあえず、お店で一番偉い人と覚えておくのがいいでしょう。

   

 

②人事評価

 

年功序列とは言いながらも、業績主義でもありました。

 

奉公人は5年未満で半数が退職し、10年にもなると約4分の3が退職します。

 

20年以上勤務するのは、わずか数%であり、『番頭』と呼ばれるようになるのがどれだけ難しいかが分かりますね。

 

家の若旦那(息子)は何にもしなくても、後継者になれる可能性があります。

 

そんな若旦那に対しても、番頭は『若旦那』と敬語を使ったりわがままを聞いてあげなければなりませんから、精神的にもかなり番頭さんは鍛えられていると言えます。

 

 

       

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庶民・農民・武士の暮らし

 

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商家・幕府のお役人とかなりの経済格差がある中で、徳川政権にまんまと統治されていることにも気づかず、平穏でそこそこ貧乏な民衆の暮らしはどのようなものだったのでしょうか?

 

 

庶民の暮らし

 

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江戸の町民は、主に長屋という今のアパート的なものに住んでいました。

 

勿論、長屋にも大家さんがいて、長屋の住民から家賃を徴収していました。

 

ただ、今と違うのは大家さんと住民との距離はかなり近い、疑似家族のようなものだったということです。

 

「大家を親と思え、店子を子と思え」という言葉もあるくらいです。

 

店子とは長屋に住まう住民のことです。

 

町民が一日に稼ぐのは平均で350~400文だったと言われています。

 

一文=約200円くらいですから、現代で言うと7000円~8000円くらいですね。

 

う~ん・・・そこそこ貧乏・・・

 

でも今と比べたら日給8000円は結構羨ましいかも・・・

 

また長屋はよく火事が起きるため、金目の物を持っていると燃えてちりになってしまいます。

 

『宵越しの金は持たない』なんてことを江戸っ子は言いますが、持っていてもいつ火事が起きるか分からないからという理由もあったでしょう。

 

長屋にはお風呂もなかったため、銭湯の文化が大きく発展しました。

 

住民のコミュニケーションの場として銭湯は根付いていました。

 

今は銭湯がどんどん減っているので悲しいですね・・・

 

 

農民の暮らし

 

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慶安の御触書には、「早起きし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄をない、俵を編むなど、それぞれの仕事をきちんと行なうこと」くらいのことしか書かれていなかったため、意外とゆったりしていたものだったと言われています。

 

豊臣秀吉時代には『刀狩り』や『太閤検地』など、農民に対して厳しい政策を行っていましたから、家康はあえて農民の暴動が起こらないよう、農民の生活にはゆるい制限しかかけなかったのかもしれません。

 

また公的な休みも決められており、一日に30~50日は休みがあったそうです。

 

1週間のうち1日は何にもしなくても良かったのです。

 

きちんと仕事さえしていれば、ある程度の幸せは確証されるのですから、家康の思惑に気が付かない限りはその生活に甘んじてしまいそうなものです。

 

しかしながら、中には算学を学んでいた将来を見据えた賢い農民もいたようです。

 

 

 

武士の生活

 

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武士の生活は、刀で斬り合い・・・なんてことはなく、今でいう警察のような仕事が多かったようです。

 

主君の身の回りの仕事をする人もいれば、政治を行う人まで仕事内容には幅があったそうです。

 

しかしながら、これだけの仕事では生活できず、アルバイトする武士もいました。

 

傘張りや耳かき作り、用心棒などです。

 

空き時間には、稽古や勉強をする真面目な武士もいたそうですが、娯楽に走る武士の方が多かったようです。

 

人形浄瑠璃、三味線、歌舞伎などの役者が千両役者なんて言われるのも、武士が一生懸命消費に寄与してくれていたからです。

 

武士がこのような少し厳しい生活を強いられても文句を言わなかったのは、『身分が高いのは我々だ』という高いプライドと志があったからです。

 

表面的にはカッコよく見えますが、これも全ては徳川家康の手の上で転がされているにすぎないのです・・・

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

 

江戸時代の背景や庶民の暮らしについて、大まかなイメージが付きましたか?

 

落語で武士を演じる時、長屋住まいの者を演じる時、このような暮らしを知っておくとよりリアルに演じることが出来るのではないでしょうか?

 

 

 

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