落語のごくらく

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『常識』は『自由』を奪う。~自分で人生を選んでこなかった人間の末路~

 

私が大学で講義を受けている途中に思いついてしまったこと・感じてしまったことをただひたすらに書いてみようと思います。

 

あらかじめ言っておきますが、これから書くことはあくまでも一個人が思う意見であり、『こうすべきだ』『こうあるべきだ』など意見を強要するものではないことをご理解いただければと思います。

 

 

 

まず私は大学生です。ごく普通の。

今日ある授業を受けながらふと、今日のタイトルのことについて急に考えてしまいました。

 

それは『常識』は『自由』を奪うということです。

(常識という名の教育と言うべきでしょうか)

 

なぜこれを思いついたかと言うと、単純に授業がつまらないと感じて、全く興味のない話を永遠とされたような気持ちになったからです。

 

ちょっと不満をこぼさせてください。まず『授業がつまらない』というのは、お前がその授業を選ばなければいい話だろうとおっしゃる方もいるかもしれません。

 

そのことについてお話しておきたいのは、

①大学では絶対にとらなければいけない単位があり、あまり興味がなくても受けなければならない講義がある

②つまらないと感じたのは、レジュメに丁寧に書いてあるレポートの注意事項をわざわざ細かく説明しだしたから。

 

 

問題は②の方で、私はものすごくせっかちなので、『いやレジュメ見れば分かるんだからいちいち説明しなおさなくてもいいですよ!それより授業を早く進めてください!』って心の中で叫びました。

 

そして、その説明を左耳から右耳へと流しながら今回のことについて考え始めたのです。(ネタが出来たという意味では先生にめちゃくちゃ感謝してますww)

 

・時間の無駄

・お金の無駄

・でもこの空白の時間で考える機会もらったありがとう!

 

 

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『常識』は『自由』を奪う

 

 

私が『空白の時間』で考えた流れそのまま書きます。変に綺麗にまとめたりしない方が伝わりやすいと思います。

 

①自分が将来役に立つか立たないかもわからない興味の薄い知識を詰め込まれる

 

『それでも将来役に立つかもしれないから勉強するんでしょ?』ってことがあるかもしれないけど、そもそも興味がないものが知識として頭に入っていくはずがないと思う。

 

興味がないものでも聞いてみたら意外とってことはあるかもしれませんけど、内容が内容なので、難しい単語ばかり出てくる。

 

でも結局サッカーが好きな人にいくら野球選手のことを説明したって、つまらなそうにされるだけ。

 

②『高校に行くことが当たり前』

実際、興味のないことを勉強しろと言われるほど勉強したくないと思う。例えば、私の場合は『数学』に対して全く興味が湧かない。

 

しかしながら、別に数学を否定しているわけではないし、言いたいのはそういうことでもない。

そして義務教育分の9年間は勉強すべきだと思う。

9年間で言葉やある程度の教養は学べるし、やはり読み書きや人と会話するスキルなどは学んだ方がいいと思うからだ。

 

 

しかし、問題は『中学卒業後、高校に行くことが当たり前で話が進んでいる』ということだ。

別に高校に行くことが悪いことだと言っているのではない。

私が真に言いたいのは『なぜ高校に行くか行かないかの選択肢を子供に与えてやらないのか?』ということである。

今思えば、中学校1~3年の間で一度も高校に進学しないという選択肢を与えられなかったし、それで当たり前なのだとも私自身思っていた。

 

しかし、高校は義務教育ではない、行くのも行かないのも本人の自由なのだ。

 

上記のようなことを書くと『だって中卒なんて社会では生きていけないじゃないか!』と思う人もいるだろう。そして実際私もそう思う。現代で中卒と言うと、いわゆる『落ちこぼれ』的なレッテルを貼られ(中卒でもすごい人はたくさんいるにもかかわらず)、普通にしているといい仕事にありつけないこともまた事実だ。

 

私はそんなことは分かり切っている上でお話している。

大切なのは『子供に自分で考えさせること、自分の人生の選択を自分でさせる練習をさせてあげることなのではないか?』と申し上げたい。

 

中学校卒業の進路を決める三者面談の際、おそらくは、ほとんどの親と先生が『高校に行くかどうか』ではなく、『どこの高校に行くか』を前提に子供と話をすすめるだろう・・

 

その時点で子供には『自分は高校に行くのが当たり前なのだ』という固定観念が生まれてしまうと思う。中卒で生きていく選択肢が自動的に排除されている・・・

 

そうではなくて、まずは『高校に行くかどうか』を前提として子供に考えさせる。

 

そして、もし子供が『高校に行きたい!』と答えたならば、その意見を尊重し、行きたい理由も踏まえた上で行きたい高校を選ばせてあげたらいいと思う。

 

行きたい理由は『部活がやりたい!』でも『彼女が作りたい!』でも『勉強したい!』でもなんでもいいと思う。

 

逆にもし、子供が『高校に行きたくない!』と答えたならばどのようにすればいいのだろうか?

 

まずはその理由を聞いてみる。

その答えが『私はこれがしたい!だから高校に行くよりもこれのためなら勉強して、将来の仕事にしたいんだ!』ならば、私はその思いを優先させてあげたらいいと思う。

 

その答えが『もう勉強したくない』など少しマイナスな答えであれば、そう思う理由を聞いた上で、先ほどの、中卒は社会で生きていけない論を子供に教えてあげればいいのではないだろうか?

 

『もしあなたが中卒で働くことになったら、こんなに毎日の生活が苦しくなるんだよ』という指標みたいなものを提示し、子供が自分自身の人生を考える癖をつけさせたらいいんじゃないかと思う。『ああ中卒で働いたらそんなに大変なんだな、それなら勉強した方がいいかも』となるかもしれない。

 

言いたいのは、始めから大人が、『中卒は社会で生きていけない』論をふりかざし、子供に何も考えさせないまま高校に通わせるのは、子供から『自分の人生を自分で選択する自由を奪っている』のと同じだということ。

 

そして、自分で行きたい高校を選んだ我が子・生徒を見て、『子供が自由に選んだ道に行くのが一番考える』と考えるのだろうが、それは本当の意味の自由でなく、複数ある選択肢の中の一つを選ばせているだけなのだと私は思う。

 

自由に考えさせているように見えて、実は『常識=こうであるのが普通』という枠組みの中で提示される選択肢の中から選ばせているだけなのだと私は思う。

 

 

③自分で物事を考える癖がつかない

②が長くなってしまった。 

②のように、『高校に行くのが当たり前』と思って入学した子供は、自分で考える癖がついていないため、無意識に『常識や周りに合わせる人間』になる。枠組みの中で得られる選択肢を選ぶ自由しか持てなくなる。

 

例えば、部活は入るか入らないか?そして体育系か文化系か?

そして、そこにジャニーズに入って活動するという選択肢はない。(例えばの話。全員が全員ジャニーズに入れと言ってるわけではない)

 

同じ学校に彼女はいるかいないか?

高校生ではない大人の女性と付き合うという選択肢はない。

 

などなど、結局は狭められた上での選択の自由の連続になるのだと思う。

 

 

もし、『ジャニーズかっけえなぁ~』と思っていたとして、自分の頭の中には『ジャニーズにはならない=自分はイケメンじゃないから』と勝手に自分で解釈して選択を狭める癖さえも身に付けるようになっている。

 

イケメンかイケメンじゃないか、ジャニーズに入れるかどうかはジャニーさんが決めることであって自分で決めつけるものではない。

 

だから私は若くしてアイドルになろうと決めた子たちや、その業界で頑張っている人達を見ると本当に尊敬する。なによりも自分で決めた人生だから楽しそう。(中には親が勝手に応募したという場合もあるが、それでも入るか入らないかは自分で決めたことになる)

 

④就職活動の時に初めて自分の人生・仕事を自分で考えさせられる

高校も結局は、大学進学か働くかの二つの選択肢を前提に話は進む。

ここに関しては残りの選択肢は働かないか・起業するかくらいだと思うが(笑)

 そして私の場合だと『自称進学校』だったため、大学に行って当然、もし行かなくても公務員が道だった。 

 

おそらく自分の人生を自分で考えない癖がついてないので、就職活動でも納得した答えを見つけられず、うわべでは『御社の経営理念に共感して・・・』とは言うものの条件がいいとか、優遇がいいとか、つらくなさそうとかそんな理由で会社を選ぶ可能性がある。

 

⑤思い描いていたものと違う

テキトーな会社(この場合は自分が真に望んでいない会社)に就職し、数年・数か月経ってから、『なんだか思い描いていたものと違う・・・』という理由で、会社を辞職ORその環境に慣れ、その生活の中で生きがいを見つけることになると思う。

 (そもそも思い描いていたものなんて、はっきりしていないはずなのに・・・)

 

そして、きらきらと輝いている人を羨み、挙句の果てに自分とは違う道を歩む人を妬み、否定的になろうともする。

 

 

 これ全部わしのことや

 

①~⑤の流れは完全に私が勝手に考えたことだし、全員がこうなるとも思ってはいない。ただ、私が今まさに③の段階まで入っていたことに気づいたので、このままいくとおそらくはこうなるだろうなと予測したものだ。

 

自分で選んだ道だと言い聞かせがらも、無意識に『常識』から外れないために努力するのだ。(受験勉強とか・・・)

 

まあそんなこと言ってると悲しいやつだと思われるから言っておきますが・・・

 

そう、これは何を隠そう私の経験に基づいたテンプレートのようなものだ。

 

自分の経験に基づいているからここまでボロクソに書けるんですね(笑)

 

 

伝えたいこと

以上のことが授業中何気なく考えていたことだが、『じゃあお前は結局何が言いたいんじゃ?』ということになるのだが、これはもうタイトル通り

 

『常識』は『自由』を奪う

 

そして人に『常識』を押し付けることは、『人の自由を奪う』ということにもなる。

 

この考えを人に押し付けるつもりはないが、お子さんをお持ちの方や人に教え立場にある人は、一度考えてみて欲しい。

 

子供に自由に選択させるという中の『自由』とはどういう意味なのかを。

 

余談だが、この考えに基づくと、『不登校やいわゆるグレル状況』は、子供が『これは自分で決めた人生じゃない!!』と行動で示した拒絶反応ではないかとも思えてきた。

 

だから、口に言わずとも行動で示してくれると考えれば、相談せずに我慢し続ける子供やそんな状況を当たり前と思いんでいる子供よりは、マイナスよりプラスな傾向であり、不登校やグレルことは別に悪いことではないのではないだろうか?

 

余談でした。

 

今年で私は大学二年生・・・今まで『常識』の枠組みで与えられた『自由』の中で楽しんできた19年間・・・

 

そして次の大きな選択は大学卒業後?大学在学中?それはまだ分からないけれど、それでも、もう2,3年も残されてない。

 

確かにこれまでも楽しかったけれど、これからより広い『自由』を手に入れるためにも、『常識』にとらわれずに、自分自身の人生は自分で考える癖を付けていきたいと思っている。

 

 

もし『私はこう思う!』という意見があれば是非コメントしていだけるとありがたいです。

 

そして普通の大学生の戯言に最後まで付き合っていただきありがとうございました。

(もしかして、この最後の挨拶的なことも『常識』にとらわれているのかもしれませんねWW)