ヨンスのひと笑い

落語によるひと笑いと普段感じている笑えないことを発信していきます

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楽しいキャンパスライフの裏で学生は戦っている(葛藤している)

学生は戦っている・・・

 

学生というのはいわゆる大学生位のことを私の中では言っている。

 

そして、その大学生が戦っているとは一体どういうことなのであろうか?

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大学生とは一般的な人の目から見ると、遊んでいたり、飲み会をやったり、サークル活動したり、ボランティアをしたりなど自分のしたい事を自由にできる、それゆえに『人生の夏休み』とも言われ一見、重大な悩みがないように思える。

しかし、これは日本人ならではなのかもしれないが、大きなそして重要な重大な悩みを抱えている。

 

それはもしかしたら高校の時からあるものなのかもしれない・・・

 

この悩みは一見、世間や世界の人から見ると美徳とされている。

そしてそれが日本人の特性であるかのようにも思われている。

 

その悩みとは『気遣い』である

 

日本人はよく気遣いができる人種だと思われている。

 

例えば相手の空気を読んだり、困っている人に手を差し伸べたり・・・

 

しかし、この気遣いをしすぎてしまうことによって、自分のことを苦しめていることに気づいていない大学生というのがとても多くいるのではないか?

 

 

 

 私はあるイベントに参加して、そしてその後そのイベントに参加した人と懇親会のようなものして話し合った結果、思い立った。

 

例えば、一度軽くお話ししたことがある人とたまたま廊下ですれ違った時に挨拶をするかどうか?

 

これは普通の大学生であれば誰しもが1度も経験したことがあるのではないだろうか? 

 

もし自分のことを覚えていなかったらどうしよう、もし相手が相手の友達と話すのに夢中で自分が声をかけたら邪魔になってしまったらどうしよう・・などなどいきなり話しかけたら迷惑になるかもしれないという廊下ですれ違って挨拶をするかどうかを考える一瞬の数秒の中でこれだけ細かな心配と無駄な気遣いが生まれているのである。

 

これは私にも言えることだ。私は以前はこのブログで書く事は誰かが批判した場合に備えて、保険をかけるようなことを書いてしまう癖があった。

 

例えば、

 

私は落語をやっています。だけど落語の練習は毎日してるわけじゃないし、まだ本格的な落語はできませんし、1つの落語も覚えられていません。

 

 

これは私にとって保険をかけた言葉であると同時に、もしこのブログを見た人がいたときに、この人は落語ができる人なんだ、じゃあ頼んでみよう!と思われたらどうしよう?と心配している表れである。こうなってくると、これはもう気遣いではなく他人を軸にした生き方、他人軸で生きていると言うことになるのではないだろうか?

 

というかなんてちっぽけな心配だろうとも思ってしまう・・・言われたときに初めて落語できないんですよ~と言えばいい話で、またその時披露できなかった悔しさが後々練習の励みとなるのであろう。

 

大事な事は落語をやっているということであって、その落語ができるかできないかはこのブログを見ている人にしてみれば別にいらない情報なのではないか?

 

そして変に自分に保険をかけることで、自分は落語の練習を毎日しない人間なんだと認めていることになる。自分に保険をかけたつもりが結局それが本当の自分になって結局いつまでも落語が覚えられないと言う状態になる。

 

問題は自分が何を伝えたいのか?自分が何をしたいのか?これが自分の人生を楽しく、そしてストレスフリーに生きていく源なのではないだろうか?

 

保険をかけた言動は自分を小さくする。保険をかけるのはやめよう。

 

落語はちゃんとやれます!

youtu.be

 

 

少し話がそれてしまったが、大学生が同じ大学生に対して無駄に今から気を使う必要は無いのだろう。

例えばあの人と話してみたい、あの子に話しかけてみたい。

でも、急に話かけたら、『こいつは変な奴』だと思われてしまうかもしれない、いきなり話しかけられてびっくりするかもしれない。

そんな心配と無駄な気遣いが結局は自分の行動を制御してしまう。

そしてそれが『やる前から諦める』と言われていることなのではないだろうか? 

 

懇親会で言われた事は、他人に対して見せる自分が気持ち悪くない(外見的にも内面的にも)と自分で思うならば、相手はむしろ話しかけられた方が嬉しいと思うはずだ。よほど自分が生理的に受け付けない人でない限りは、いちどは驚くかもしれないがやはり笑顔で好意を向けられると誰だって嬉しいものなんだ。

ましてや、そこら辺にいる赤の他人に話しかけるわけじゃなく、同じ大学生なんだからむしろ同じ仲間なんだから気にする必要はないと言うことである。

 

私は友達とは本音で語り合いたい。

どうも私の周りには、そして私は、とりあえず一般的な話を、例えば「今日の授業はだるかった」とか、「昼飯は何を食う?」とか、「彼女が欲しい」とか、そんないつでもできそうな話を毎日するのは全くもって刺激がない。そしてそんな話を「なんか話さないと気まずいから」という理由でいつまでも続けるのはもったいない。

 

やはり本当の友達とは自分の本音を語り合える、そしてそれに同意しつつも私はこう思うとはっきり言える関係のことを指すのだと思う関係のことを指すのだと思う。

飲み会やサークルはたくさん開かれているが、果たしてその中の何人の人が本音で語り合って友達になることができようか?

 

私は今までは人にいい顔をして嫌われないようにする、いわゆる優しい奴だと言われてきた。

しかしそれは私にとって退屈なものだし、とても気を使うことだし、人と会って帰ってくると子供ながらにどっと疲れるのは多分そのせいである。

 

これからはそういう自分からおさらばしようと思う。

私の本音を出していき、その本音に対して私と距離を取ろうとするような人であればそれは、私とは合わないと割り切るのがその中で正解だと思う。

 

 

そしてそれこそが、他人軸で生きるのではなく自分軸で生きるということなのではないだろうか。いやそう思って私は生きる

 

いつもであれば、少し大げさなことを言ってしまったがなんていう、これまた保険をかけた前置きをするのであろうが昔の私はもういない。

 

だから「こうしなければならない」「こうするのが常識」「こうするのが世間的には一般的」

そんなものはもう私に通用しないそう思っていただきたい。

そう思って生きてやる。

 

それぐらいが私にとっては毎日が刺激的な楽しい生活が送れそうだ。

 

 

なんだか興奮してきたな・・・

 

ただ、最初のタイトルにもあった通り学生は戦っているのだ。

 

一見楽しそうに見えるキャンパスライフもその細かなところを見ると空気の読み合いだったり、他人の顔色を伺うそんな大学生がごまんといるのではないか?

楽し気な雰囲気の中に混在する何か気持ちの悪い、うわべだけの関係・・・

 

それが学年の違いやイケてる・イケてない関係なく本音で語り合うようになったらどれだけ楽しいことだろうか?

 

そして私は自分も含めそんな大学生の生活を充実した楽しいものにしていきたい。

 

これはもちろん自分のためにでもある。

 

ではどうすれば良いのかそう考えたときに思い浮かんだアイディアがそう・・・

 

直接型SNSなのかもしれない・・・

直接型SNSとは?

 

www.hanashicoo.com

 

 

 

 そして私は彼ほど自分軸で生きている人間はいないと思う。彼の『~したい!』と思いそれを行動に移す力が詰まった本。

多動力 (NewsPicks Book)

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