ヨンスのひと笑い

落語によるひと笑いと普段感じている笑えないことを発信していきます

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落語と演劇って何が違うの?

こんにちわ!ヨンスです!

 

今回の記事はちょっと自分の中で一つの答えを出さなくてはいけないなと感じたことを書きたいなと思います!

 

それはタイトルにもある通り、『落語と演劇の違いとは?』

 

あるとき友達(紛れもないぁゃゃなんですがww)に言われたんですよね・・・

 

「なんで落語なの?それって演劇とはどう違うの?」

 

その質問をされたとき、一応は以下のような返事をしました。

 

・演劇はたくさんのセットとか衣装とか必要だけど、落語は準備するものが少なくて、いつでも演目を覚えてしまえばできる。

・女性や子供、おじいさんからお殿様まで一人で色んな役を演じられる。

 

・・・こんなもんか?いやそうじゃない!

 

落語だけにしかないこれだという魅力があるはずだ!!

 

と考え、今日は自分なりの落語だけにしか出せない魅力となぜ演劇ではなく落語なのか?そこを追求していこうかなと思います。

 

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ここからは自分の考えをずらずらと書いていきます。正直この記事自体書くことが自己満足になるかもしれないのですが、『落語を好きだ!落語研究会を作ろう!みんな入って落語をやろうよ!』と言うからには、『落語のここが凄いんだ!魅力なんだ!他とは違うんだ』ということを説明できなければ、知らない人からすると『落語ねぇ・・』で終わってしまう気がするんです。

なんとか頑張って、自分の言葉で伝えてみたいと思います。

 

ちなみに・・

www.hanashicoo.com

 

 

ずばり、落語の魅力は、自分で自由に物語の情景をイメージすることが出来ることだと思います。

目の前にはたった一人の落語家という人間がいます。その落語さんが生み出す表情とか仕草・声の出し様を聞いているうちに、頭の中にフワフワと情景が流れてきます。

 

例えば、落語家さんが吉原の花魁を演じていたとしましょう。

 

目の前にはどんなに髪の薄くて、しわしわのどっからどう見てもおじいさんという人(例えばの話ですww)が演じる花魁なのに、頭の中ではしっかり自分好み・イメージ通りの綺麗な花魁が浮かんでいるわけです。

 

それだけ自分の想像力が強く反映されるのが落語だと僕は思います。

 

そして今回のテーマである『落語と演劇の違い』・・・それはこの想像力が反映されるかどうかで大きく分かれると思います。

 

今から言うことは『演劇のことも勿論リスペクトしてますよ』ということを前提として書きます。

 

演劇は登場人物を完全に演じきるものだと僕は思っています。服装・声・背景・容姿・髪型、ほぼすべてをその登場人物に寄せていくわけです。

 

そうなるとどういうことが起きるのでしょうか?

 

目の前で行われている自分の目に映っている劇、それこそが全てなわけです。これも同じ例を挙げると、劇で吉原の花魁を演じるとしましょう。服装・髪型・髪飾り・化粧もして花魁にかなり近づけます。その状態で舞台にあがる。そうすると見ているお客さんは『これが花魁なんだ』と頭の中で花魁をイメージすることなく、視覚のみの情報に頼るわけです。落語のように『花魁ってきっとこんな感じなんだろうな』と頭にイメージをすることなく、『私こそが花魁よ!』と舞台に上がってくるので、お客さんとしてはそれを受け入れるしかないわけです。目の前で、180センチの人が桃太郎を演じているのに、わざわざ自分のイメージにある160センチくらいの桃太頭を頭の中で想像しながら劇を見る人はいないでしょう?ww(例えが変かもしれません)

 

勿論、それこそが演劇の醍醐味なのですが、『落語と演劇はどう違うの?』と聞かれれば落語は演劇と違って自分で自由に情景を想像できるよということがが僕なりの答えでした。

 

ですから僕が今現時点で考える、芸の素晴らしい落語家さんというのは自分の中に滑らかにイメージが浮かび上がり、その中のイメージでくすっと笑ったり、感動したりという現象が自然に起きる人のことだと思います。(ちなみに僕の好きな落語家さんは今はお亡くなりになられた古今亭志ん朝師匠と立川志の輔師匠です、落語初めて聞くという方は是非調べてみてくださいww)

 

この文章を書いて思いましたが、この考えでいくと、今テレビで放送している『落語THE MOVIE』というNHKの番組(落語をあえて映像化し、噺家の語りに合わせて再現役者の口が動く構成になっている)は自分の頭に描くイメージを完全に無視しているなあと思いましたwwそれでも初めて落語を聞く人見る人にはかなり見やすく、落語に興味を持つ動機としては十分すぎると思います。もし暇だったら見てみてください。

 

www4.nhk.or.jp

 

 

ちゃんと答えになっているでしょうか?(笑)これが落語の最大の魅力であり、落語でしかできないことだと思います。

 

※これは余談なりますが(戯言ですので飛ばしても大丈夫ですww)、小説の中の話を映画化・ドラマ化したりなど、とにかく映像化することがありますよね?

勿論映像化するのは面白いですし、楽しみではあるのですが、自分が小説を読んで想像した情景や登場人物がまったくもって無視されることになるので、そういう意味では少し悲しいかなと思いますww

自分の中ではこのヒロインはもっと違う雰囲気の女優さんだったのになぁ・・・なんあてことよくありませんか?wwそういう点でも自分が小説を読んで作った世界観が壊されてしまうのはもったいないなとは思いました。戯言でした。

 

 

実はあともうひとつ、質問されたことがあります。

 

古典落語(すでに完成されたストーリー)をやるより、自分で1から作った話をやる方が面白みがあるんじゃないか?」ということです。

 

僕はこれを聞いて、『なるほど、そういう考え方もあるのか』と思いました。今まで落語は見て、真似をして、人前でやってなんぼだと思っていましたが、自分で作った演目を演じてもらうという考えはなかったです。

ただ、やっぱり僕はやる方が好きだという結論に至りましたがww

確かに古典落語をやるというのは、すでに完成されたストーリーをやるという言い方もできますが、ちょっと視点を変えてみれば、江戸時代に作った演目が400年ほどたってもなお、僕のような若い人にでも受け入れられている・笑いを生んでいると考えれば、それは400年間ずっと共感され続け、面白いと言われ続けた話でもあるということになります。そういったことから、自分で1から作った話が古典落語には敵うはずがないとは思っています。

また古典落語をやっている、あの落語家さんの、あの演目に出てくるあの仕草とか声を真似したい・自分もあの場面で人を感動させたい・笑わせたいというような、好きな落語家さんに憧れて古典落語をやりたいという気持ちも勿論あります!

 

 

まとめ

 

ここまで自分の言いたいことをずらずらと書いてしまいましたが、この記事で少しでも落語と演劇の違いを理解していただけたら嬉しい限りです。

 

また最近は視覚で楽しむエンターテインメントが多い中、落語は自分の想像力を鍛えながら楽しめるものだとも思っていますし、自分でもこれからそれを意識しながら落語と触れ合っていきたいなと持っています。

 

色々自分では難しいこと書いてしまったなと思っているんですが、落語を聞くとは、気軽に聞いて想像を楽しむのが一番だと思います(笑)

 

そんなこんなでこれからも落語系の記事をよろしくお願いします。

 

 

落語の入り口?想像と創造のコミュニケーション (Next Creator Book)

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