知識も才能も金もない2人の大学生が一からブログ始めてみた。

どこにでもいる普通の大学生が普通から脱却するため、ブログ始めました。

【スポンサーリンク】

【映画紹介】学校は、世界だ。「桐島、部活やめるってよ」Part2

んにちは。

ヨンス&ぁゃゃのぁゃゃです。

 

回は、映画「桐島、部活やめるってよ」の紹介Part2です。

(まだPart1を見てない方はこちらからどうぞ)

前回の続きなので、

③キーワードとそれぞれの考察をしていきます。

 

【スポンサーリンク】

 

 

f:id:messicoo:20171025130906j:plain

③キーワードとそれぞれの考察(ネタバレあり)

考察:「高校」

f:id:messicoo:20171104103439j:plain

の映画がとある高校の日常を映し出すだけで映画として成り立っているのは、高校生にとって学校が世界の全てであるからです。学校での世間体=唯一のアイデンティティ。だからスクールカースト上位のクラスメイトたちは自分のポジションのために必死になるのです。

一方、スクールカースト下位のクラスメイトたちはあまりそれにとらわれずに生活しています。目立たなくても、毎日が本当に楽しいのです。

スクールカースト」なんていう目に見えないもののために奔走する姿がこれまた圧倒的リアリティ=「高校生っぽさ」だと言えるでしょう。そして彼らはこれからもこの高校という世界で生きていくのです。映画終盤で、前田が後輩部員に向かって教えた作成中の映画のセリフ。これこそがこの映画のテーマなのではないでしょうか。

戦おう、ここが俺たちの世界だ。

俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから。

 

考察:「恋愛」

f:id:messicoo:20171104103459j:plain

愛に関して語りたいのはやっぱり沙奈ですね。彼女は本当に宏樹のことが好きだったのでしょうか?友達で校内一の人気女子梨紗は、校内のスター桐島と付き合っていて、「校内のスターの彼女」なんていう素晴らしい肩書を手にしています。その桐島の親友で、ある意味対等な立場にある宏樹。そんな宏樹の彼女になることで、梨紗と同じようなポジションに立つことを求めたのではないでしょうか。スクールカーストの上位に属することに必死になっているのです。だって、学校が世界の全てだから。決して宏樹のことが全く好きではないわけではありませんが、沙奈が本当に好きなのは「桐島の親友、宏樹と付き合っている自分」なのです。彼氏、彼女がいることがある種のステータスになっているあたり、圧倒的リアリティ=「高校生っぽさ」

一方、宏樹の方も本当に沙奈のことが好きなのでしょうか?沙奈とのキスシーンの時の、彼のつまらなさそうな表情。彼にとっては恋愛すらつまらないもので、本気になれないのです。沙奈に告白されて、流れで付き合っているだけなのでしょうね。

恋愛に関してもう一つ語りたいのは、映画部前田と、吹奏楽沢島失恋。前田は自分の好きなことを笑わずに認めてくれるかすみに、沢島は教室で自分の前に座っている宏樹に恋心を抱いています。作中で前田が「かすみのことが好き!」というシーンはありませんし、沢島に関しては宏樹と会話をしているシーンはありません。それでも鑑賞している我々にその恋心を理解させる視線や表情、カメラワークが素晴らしいです。

結局、彼らの恋が成就することはありませんが(沢島は宏樹には彼女がいることも最初から分かっていました)、この失恋を映画や吹奏楽という芸術に昇華する姿が非常に愛しいのです。この失恋がラストの屋上のシーンを感動シーンにしているのでしょうね。ローエングリンをバックミュージックに、ゾンビが人々を襲う(前田の妄想ですが)という普通では感動とは無縁のシーンに涙する要因はまさにこの「失恋」と「その失恋を芸術に昇華する愛おしさ」なのでしょう。

 

【スポンサーリンク】

 

 

考察:「友人」

f:id:messicoo:20171104103524j:plain

人関係や彼らの会話にも、「高校生っぽさ」が溢れていますよね。例えば、女子グループの梨紗沙奈実果かすみ。仲良しグループなのに、時々垣間見えるギクシャク感気まずさがリアルです。同調圧力と「ごめん」という言葉とで、今にも壊れそうな脆くて全く楽しくない友情を、自分の立場と相手の機嫌のために取り繕っているような感じ。本当に困ったことがあったとき、彼女たちは「大丈夫~?」というセリフだけを投げかけるだけで、お互いを助け合うことはないでしょうね。実果がかすみと二人になった時に放った「さっきの嘘だから。本気で好きだから、バド。あの人たちに言ってもね。」このセリフの残酷さが彼女たちの友情関係を象徴しています。

バレー部の久保風助はどうでしょうか。久保は副キャプテンとして桐島がいなくてもやっていけると言わんばかりの振る舞いをしますが、実は桐島の退部に一番戸惑っていたのは久保自身でした。今まで桐島に頼り切っていた自分へ、桐島の代わりとして十分ではない風助へ、どうしようもないいら立ちを覚え、風助に八つ当たりしてしまいます。

一方、風助。彼は桐島の退部によって出場機会を得ますが、桐島には到底及ばない自分の実力不足に苛まれます。彼らにとって桐島という存在はあまりにも安定していて、大きいものだったのです。

久保「関係ねぇだろ桐島は!てめぇがなんとかするしかねぇだろ!

風助「なんとかしようとしてこの程度なんだよ、この程度なんだよ俺は!

この後彼らがどうなったかは描かれていませんが、きっと桐島のいないバレー部で戸惑いながらも活動していくのでしょう。

 

考察:「桐島」

f:id:messicoo:20171104103542j:plain

 名にもなっている桐島ですが、桐島自身は映画に登場しないというのも、この映画の面白さの一つです。屋上のシーンと階段のシーンの2か所で「桐島っぽい」男子生徒が登場しますが、結局彼が桐島だったのかは謎のまま。姿を現さない桐島に振り回されるクラスメイト達の姿を見て、観客は何か偶像崇拝のようなイメージを覚えます。校内のスター、いわゆるアイドル(Idol=偶像)のような存在の桐島。そしてその桐島を崇拝しているのは、宏樹梨紗などのスクールカースト上位に属するクラスメイトたち。自分が崇拝していた桐島の不在によって彼らは混乱の渦へと巻き込まれます。

一方で、映画部の前田吹奏楽部の沢島のような、スクールカースト上位とは言えない(むしろ下位に近いのでは)、彼らはどうでしょうか。彼らにとって桐島は「同じ高校の、なんか人気のある人」でしかありません。だから、桐島がいなくなったって別にどうってことはありません。

混乱する“上”と、いつも通りの“下”。彼らが集まった屋上で繰り広げられるラストシーンは、一時的とは言えどもスクールカーストの崩壊とその爽快感を感じることが出来るシーンとも言えるでしょう。

おわりに

々なキーワードで「桐島、部活やめるってよを考察しましたが、ネガティブな考察が多くなってしまいましたね。でもそれが高校生のリアルだと思います。その残酷なほどのリアリティと、そんな中でも彼らを包み込む生暖かい雰囲気のようなものを感じていただきたいです。おすすめです!

談ですが、この映画の原作は朝井リョウさんの同名小説です。小説では、映画とは若干異なったストーリーを楽しめるので、是非チェックしてみてください。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 
桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組)

桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組)

 

 

た、高橋優さんが歌う映画の主題歌

陽はまた昇る

は、まさにこの映画のために作られたような歌詞で、聞くたびに映画の描写を思い出す、とても良い曲です。こちらも合わせてチェックしてくださいね!

 


高橋優 「陽はまた昇る」

 

れではこの辺で。

 

【スポンサーリンク】

 

 

僕たちのTwitterこちら

 

【スポンサーリンク】