落語のごくらく

落語の台本を吹き出し💬式で書いています。

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人見知りのくせに人前で話たがる意識高い「風」人間『ヨンス』のプロフィール

 

 

 

こんにちわ!

 

まずは当ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます

 

 このブログを運営しているヨンス(@ShikanaiD)と申します!

 

 

 

 

プロフィール

 

※内容薄いので、呼び飛ばしてもOKです。大切なことは本当に最後の方に書いてます。

 

 

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生まれてから今まで本州最北端でのほほんと生きてきた大学生です。

 

このブログでは主に落語の演目台本・知識と雑記を書いているのですが、若い人が落語を好きになるのは結構珍しいのではないでしょうか?

 

 

私が落語を好きになったのは、高校三年の受験生の時・・・

 

日々勉強に明け暮れる日々に嫌気が指して・・・

 

ほんの息抜きにアニメを見ることが趣味になっていました・・・

 

数々のアニメを見て、同じクラスのアニメ好きの友達にも『おすすめのアニメある?』と聞くほど見漁りました。

 

その時に友達からオススメされたアニメが『昭和元禄落語心中』という落語のアニメだったのです。

 

今までの僕は『落語なんておじいさんやおばあさんが聞くもの』だと思っていたので、落語との第一印象は最悪。

 

学校の芸術教室でも聞いたことがありましたが、幼い僕には頭でイメージする力が落語の中のお話が全く分かりませんでした。

 

でもまあ、他に見たいアニメもないしまあ見てみるか・・・と見ることにしました。

 

このアニメは、『落語はこうだ!』というような落語落語したお話ではなく、落語家としての人生をアニメにしたような非常に見やすい作品でした。

 

私はアニメの主人公がちらっとやっていた落語『死神』に興味を持ちました。

 

それから立川志の輔さんの『死神』を聞き、すっかり落語の虜になりました。

 

それと同時に私も志の輔さんのように、人を爆笑させたり、ぞっとさせたり、落語を楽しませる側をやってみたいと何気なく思いました。

 

 

www.hanashicoo.com

 

 

 

そこで大学では意気込んで落語研究会に入ろうと思ったのですが、私の大学には落語研究会はありませんでした。

 

だったら自分で作ってしまえ!と思い、大学にはなかった落語研究会を2018年2月、大学一年の冬に作りました。

  

 

一風変わった保育園で過ごした幼少時代

 
私の保育園は少し、変わった保育園で、その名も『まきば保育園』。
敷地が2000坪もある、外で遊ぶことを重視した野生児育成型保育園で。
 
 
・外に出るときは、必ず裸足
→このおかげで足裏を蜂にさされて、大怪我をした
 
・白いブリーフ一丁で泥の中を遊びまくる
 

 ・真っ裸で男の子も女の子も関係なくプールで泳ぐ(今やってたら問題になりそうですね)

 

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ギリギリ隠れている・・写真の撮り方センスありすぎぃ!!
・採食主義で肉を一切食わない
 
・木になっているジャムの実をめちゃくちゃ食べてた
 
・保育園児にして、約4キロ先にある何もない神社へと、徒歩で毎年遠足に行く
→途中で毎年うんこを漏らさないように我慢しなければならないので、僕にとってはとても苦痛な行事でした。
 

 

 

どんな保育園生活を送っていたかといいますと・・・
 
・保育園の先生に『大輝君のうんちは、他の子と比べてもかなり大きいし、とっても健康的!』と褒められた。
 
・毎日誰よりも早く保育園にきていたこと。(母親に連れてこられた)
→そのおかげで、保育園新聞に載った(うんちが大きいってことも書かれていたような・・・)
 
・テレビやゲームを一度もみたことがなかった。
(ポケモンとか戦隊シリーズとかが流行ってた時期らしい)
 
・真冬に友達と保育園の雪山から、小さいそりに二人乗りをして、駆け下りたら、自分だけ体勢を崩して、氷で固まった雪の斜面に顔面をこすりつけた(そりで加速がついてる状態なので、なおさら痛い)
→片方の頬だけ真っ赤に血だらけ・・・
 
・裸足で外に出ていたせいか、足の裏を蜂に刺されて、足を包帯巻きにする。
 
そんなこんなで平和な保育園時代を過ごしていました。
 
野生児育成型保育園に通ったからと言って、性格まで大胆になったかと言われると全然そうではなくて、むしろ今でも小心者です。
 
人に批判されるのは怖いし、怒られるのが何よりも嫌いです。
 
でも自分で思うのは、あまり怒ったことがないですね。
 
友達にからかわれたり、『ハゲ(はげではないですが・・・)』『玉ねぎ』『アンパンマン』いろいろあだ名をつけられたり、いじられたりしましたが、私はむしろそれを『オイシイ』と思うような、リアクション芸人みたいな人間ですね。
 
やはり幼少時代、あまりお肉を食べなかったので、草食系になったのかもしれません。
 
 
 

後悔の多かった小学校時代

 
 

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うむ・・いい笑顔じゃ
 
思えば、小学校時代は覚えていることがたくさんあります。
 
私は、わくわくどきどきしながら小学一年生をむかえました。
これは今でも覚えているのですが、小学生になって初めての授業参観がありました。
 
授業は『図工』で『自分の顔を画用紙で手作りしてみよう~♪』という内容でした。
 
私は自分の感性のままに、肌色をした四角い画用紙を、はさみを使って顔の輪郭を作り出し、髪は黒い画用紙でショートに仕上げ、目や鼻をはりつけ、完成!!
 
正直いって渾身の作品でした。
 

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かなり再現度高いと思います。それくらい鮮明に覚えています。
 
『さあ!じゃあ今みんなで作ったお顔を黒板の上に貼りましょうねぇ~』と先生が言ったので、みんなが先生に自分で作った顔を渡していきます・・・
 
そして、私が先生に顔を渡したとき、なぜかみんなが大声で笑い始めたのです。
 
僕は一瞬なぜ笑われているのか全く分かりませんでした。
そして、その数秒後なぜ笑われているのかを理解しました。
 
私の顔だけ、他の人と比べて、以上に大きく、そして縦に細長かったのです。 
 
私は半分わけが分からないまま、みんなに笑われていることを噛み締めながら、みんなに合わせて、その場は笑っていました。
 
そしてその後、授業は終わり、帰りの会が終わった後、私は誰もいなくなった教室で、悔しくて泣いてしまいました。
 
『なぜ自分で一生懸命作ったものを人に笑われなきゃいけないんだ!他の人と違ってもいいじゃないか!なぜ笑うんだ!』
 
とても悔しかったという記憶があります。
 
その後、母親にその思いをぶつけると、真摯に聞いてくれた後、
 
『(当時はやっていた芸人)タカアンドトシを見てごらん?毎日テレビに出て笑われてるでしょ?あの人たちは笑われても、泣いてないでしょ?別に笑われることは悪いことじゃないんだよ?』と言われたことを、いまだに覚えています。
 
それに対して、中々納得できず、『笑わせようとする笑いと、一生懸命やったものを笑われることは違うんだよこの野郎!』って思ってました。
 
 
今では『人と違うこと』こそ、大きな武器になると確信しているので、あの時の経験はそれを教えるためのものだったのではないかと思っています。
 
 
エピソードがもう一つ。
 
『小学校の時サッカー部入ればよかったなぁ~~!』って思います。
 
私はサッカー部に入ろうとしていたのですが、長年野球をやっていた兄に『サッカーはやるとマジで足骨折するからな!マジ野球の方がいいからな!』って言われて、ビビッて野球部にしました。
 
今思えば、自分がやりたくないことを人の意見に合わせてやるほど馬鹿らしいことはないなと思っています。
 
結局私は、中学校・高校とサッカー部に入ることにしました。
 
野球からサッカーへと禁断の移籍をするわけです。
 
まるで、バルセロナからレアルマドリードへ移籍したルイス・フィーゴのような感じです。(大げさでした。サッカーわからない方すいません。)
 
同じ小学校で野球部だった同級生に『裏切者!』と言われたときは、傷つきましたね。
 
今思えば、その言葉は一見マイナスな言葉のように思えるけれど、裏を返せば『自分ののセンスを認めてくれてるから、そういうことを言ってくれるんだろうな』と思います。
 
人が自分をけなしたり、批判をする裏には絶対に何か隠れたメッセージがあるんだということを実感したエピソードでした。
 

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やる気が感じられない(笑)
 
後もう一つだけ・・・
 
ちょっと甘酸っぱいを超えて、苦い思い出です。
 
実は小学校6年生くらいの時に、同じクラスの女の子に告白されまして・・・
 
今思えばそれはとても嬉しいことです。
 
当時の小学生は『誰が誰を好き』とか『誰が誰々に告白した』とかめんどくさい傾向にありました。
 
SNSやネットもありませんから、噂は隠せるわけもなく、自分のところへも流れてきます。
 
そして、僕に告白してくれた女の子は、みんなが普通にいる教室で、私の机に小さなメモ用紙みたいな手紙を置く告白スタイルだったので、その時点でみんなにはバレていました。
 
とても混乱しました。
 
その私の机の上に置いていた手紙の裏に、人として最悪な答えを書いて女の子の机の上に置いておきました。
 
 
その答えは、
好きでも嫌いでもない
 
という答えです。
 
つまりは『あなたになんて好きになるどころか、嫌いになる程度の興味もありません』と言っているようなものです。
 
当時の私は、そう答えることが相手にとって一番傷つかないのだろうと思っていました。
 
その後、驚くべきことに道徳の時間に、担任の先生が急に私の方を向きながら、
 
まあ人っていうのは・・・あれだね・・・好きでも嫌いでもないって言われるのが一番最悪だよね
 
なんてことを言い出すもんですから、『あ、あの女、先生にチクりやがったな~!』なんて思い出もあったりしてました(笑)
 
でも今では、好きの反対は『無関心』であることを身に染みて実感しているのです。
 
 
 
 

あることに苦手意識を感じ始めた学生時代

 
 
中学校時代は、赤っ恥をかきまくった記憶しかありません。
 
ひとつ例を挙げると、中学三年生の時、恥ずかしくなると顔が赤くなる癖を見抜いた女性陣が私をからかい始めました。
 
始まりの発端は確か、席替えをした後だった気がします。
 
ちょうど私の左、右がどちらも女子で、私を挟んでガンガン女子トークを始めますし、ちょうど私の知ってる人のことに関して話すもんですから、つい笑いそうになって、こらえきれず机にふせてしまいました・・・
 
それに気づいた女性陣が、『お?なんだこいつ?』的なノリで声をかけてくるもんですから、顔を真っ赤にしながら『お、おう・・なんだよ?』って対応したら『顔赤いじゃん~』ってからかわれました。
 
 
『からかい上手の高木さん』なんてレベルの話じゃありません・・・

 私が思い描いていた『からかい』はもっといい感じのやつなのに!!

(わからない方は調べてみてください、いいアニメなので)

からかい上手の高木さん 1 (ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)

からかい上手の高木さん 1 (ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)

 

 

 
 私は見事に赤面症を発症します。
 
女性の方と話すのが苦手&話すと顔が真っ赤になります。
 
 
でも今思えば、それはそれでいい思い出だったし、その自分に対して言いたいことがあるとすれば、
 
『その状況、もっと楽しめ( ´∀`)bグッ!』
 
むしろ今は無表情になることも多く、子供のころは感情豊かだったのになぜ今になってこんなに愛嬌のない人間になってしまったのかと嘆いています。
 
愛嬌のある顔になるにはどうすればいいんでしょうか?
子供のころのような無邪気さを取り戻すにはどうしたらいいんでしょうか?
 
 
部活は念願のサッカー部に入ります。
 
顧問の先生が、結構怒鳴る先生だったので、試合中ヒイヒイ言いながらプレーしてましたが、中学三年生に進級するとき、その先生が他の学校に行ってしまうと分かった時には、不覚にも涙を流してしまいました。
 
その時、その瞬間は嫌だな・つらいなと思っても、それがなくなった瞬間に、ありがたみを覚えるものです。
 
 
 その先生の指導のおかげと新しく指導してくれた先生のおかげで結局、県大会に出場することが出来ました。
 
 

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疲れ切った顔
 
 
 
ただ東北最北端、青森といえば青森山田がいます。やっぱりアホみたいに強いです。
 
市の中体連の決勝で23-0で負けたときは、『(イナズマイレブンの)帝国学園よりやべえじゃねえか!!』って心底思ってました。
 
もう途中から何点目か分からなくなりますよね・・・
 
決して青森市のレベルが恐ろしく低いとかそういうわけじゃないと思うんです。青森山田のレベルが恐ろしく高いんです。
 
でもどんなに点を取られても途中で絶対にあきらめてはいけないと思うのです。
 
23-0だった試合はその日、準決勝を勝ち抜いて、2試合目の決勝。
 
いくら疲れが残っていたからと言って、それを理由に最初から諦めモードで入るのは絶対によくありません。
 
きっと勝つつもりでいけば23-0にはならなかったんじゃないかなと思います。
 
大会の全試合で失点数が一番多かったのは、この決勝のこの試合でした。
 
決勝を楽しみにしてくれた人たちに申し訳ないことをしたと思います。
 
『やる前から諦めてはいけない』
 
そんなことを痛感した出来事でした。
 
 
 
 

 現在

 
 
 ブログを始めたのは、大学生になってからでした。

 

ブログを始めたのは落語の台本を書き、自分で落語をやりたいと思ったからです。 しかしながら、ブログを続けるうちに『人と人を繋げるツール』だなとも感じています。

 

 

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ちなみに私の名前がヨンスなのは、suchmosのボーカルであるヨンスさん(写真左)に似ているからです。

 

私が自分で似ていると言ってるわけではありませんよ!?

 

先輩にあだ名として付けられ、大学でもヨンスと呼ばれることが多いです。

 

左のヨンスがかっこいい系なら、右のヨンスはかわいい系ですね!

 

ふっふっふ・・・

 

 

 

 

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文化祭が終わった後、疲れて立ちながら寝てしまうヨンス

 


話は変わりますが、『ヒッチハイクやってみてえ!』と思って、色々葛藤しながら、思い腰をあげて挑んだヒッチハイク。 

 

埼玉から青森に帰るときに、ヒッチハイクをしました。 

 


埼玉県の蓮田SA(徒歩でも入れるSA)から最初は宇都宮まで・・・ 

 


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最初に乗せてもらったのは、大学生の三人組でした。


ちょうどサークルの合宿所に行く途中だったようで、『面白そうなことやってんなぁ!』と思って、乗せてくれたそうです。 

 


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続いて宇都宮~青森まで乗せてくれたのが、トラックの運転手のおじさん。 


今はトラックにも規制が多くて、ヒッチハイクをしている人をむやみに乗せてはならなかったりもするのですが、そんな中、『ちょうど青森まで行くから乗っていきな!』と言っていただきました。 


結局2台の車で、実際にヒッチハイクをした時間は30分もかけていなかったと思います。 


ヒッチハイクをしたときに意識したのは、 
スケッチブックを大きく掲げて、口角を上げて笑うこと! 

 

一番最初にSAでたくさんの人が見ている中、スケッチブックを掲げるまで、怖くて5分くらいかけてしまいましたが、掲げてしまえばどうってことなかったです。 


人間できないと決めつけてしまえば終わりなんですね。 
 
 
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 ヒッチハイクで一番つらかったのは、その時真冬だったので、青森に帰って来てから自分の家に帰ってくるまでの歩いた時間がアホみたいに寒かったってことです(笑)

 

 

 

始めての落語 

青森に帰って来てから、初めて人前で落語を披露しました。

 

その時の動画が残っているので、トイレにいる間でも見てみてください。

 


素人ついにデビュー❗️「初天神」

 

 
私が落語を始めたのは、勿論落語の魅力にとりつかれたのもありますが、『人前で堂々と話せるようになるのではないか?』と考えたからです。
 
私は今まで人見知りで、初対面の人とは目も合わせられず、体が固まってしまうような人間でした。
 
そんな自分が嫌で、『もし初対面の人にも、堂々と話をできるようになったらどれだけ人生楽しくなるだろうか?』と思ったら、きっと落語をやったら恥も人前に出る怖さもなくなるんじゃないのかなと思ったのです。
 
確かに、最初に落語を披露したときは緊張しましたし、今でも人前で話すのは緊張します。
 
でも、緊張と一緒にワクワクする気持ちが出るようになりました。
 
落語を始めてから、『落語×コミュニケーション』というイベントも開催しました。
 


 
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この頃には、むしろ人前で話すことを楽しめるようになっていました。

 

また人を笑わせることの快感も覚えました。

 

このイベントをやっている最中私は気づきました。

 

『俺は人見知りはするけど、人一倍目立ちたがり屋で、人前に出たがる人間だ!』

 

思えば、学生時代、他の人がウケていたり、目立っているのを羨ましく思ったり、悔しく思ったりする節がありました。

 

また、他の人が物怖じしているものを自分が初めてやった時ほど快感なことはなかったです。

 

例えば、誰が一番最初にバンジージャンプを飛ぶのか!?と物怖じしてたら、自分が最初に行って『すげえ!』って言われたいタイプの人間ですw

 

集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へと、一番最初に飛び込む1羽のペンギン。

 

そう、ファーストペンギンのような人間に私はなりたいのです!

 

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人生最大のピンチ

 
 
 そんな楽しい生活を送る中、ヨンス最大のピンチに遭遇してしまいます。

 

大学生になってから、親にすべて奨学金等のお金の管理を任せていました。

 

家賃・光熱費・水道代・通信費・入学金・授業料すべてを親に任せて自分はのほほんと大学に通う日々でした。

 

私は家族の過酷な経済状況など知る由もなく、のほほんと大学に通っていたのです。

 

授業料はなんとかしてくれると親が言うので、本当に最後の授業料支払い期限になるまでその『異変』には気が付かなかったです。

 

授業料期限10日前になって、『やっぱり授業料は払えない』と申告されたのです。

 

ここで授業料を払えないと『除籍』つまりは大学に入った事実すら消されてしまう、退学よりつらい状況になります。

 

 

ちょうどその時タイムリーで、頭が混乱し、どうすればいいかわからないまま、とりあえず友達や大学で知り合った人には知らせないと!と思いながら書いた記事です。

 

www.hanashicoo.com

 

 

結局大学で生活支援の枠で使える10万円と今でもお世話になっている大人の知り合いの方に50万円借りて、何とか今も大学に通うことができています。

 

それからは、親にお金の管理を任せるような依存や甘えをすることを自分ではしないようにして、家賃・光熱費・水道代・通信費・食費・入学金・授業料全部、奨学金を利用して自分で払うことにしています。

 

本当に何があるかわかりませんので、奨学金を借りるだけ借りてあとは親に任せているという学生さんは気を付けて下さい。

 

すべて自分で払えとは言いませんが、 自分の経済状況がどうなっているのかだけはしっかりと確認した方がいいと思います。

 

あまり自身のお金の状況を公開したくはありませんが、私が大学を卒業するころには約800万円くらいの借金をこさえて卒業します。

 

正直馬鹿臭い、なんで大学に行かなければならないのか・・・と考えたこともありました。

 

こういうことを言うと、批判を受けるかもしれませんが、私がそれでも大学に通い続ける理由は『まだ働きたくないから』です。

 

社会的な責任を負いたくないのです。

 

自分の好きなことをやって自分のやりたいことを探す。そんなあやふやな理由のために今私は大学にいます。 

 

私はこのピンチのおかげで『自分軸』を知りました。

 

  自分軸とは『自分はどうしたいのか、何をする必要があるのか、自分の動きに意識を向けて生きること』です。

 

 誰かが認めてくれる、自分が何も言わなくても思い通りの反応をしてくれる、誰かが何とかしてくれる、そういう気持ちや思いは後で自分を苦しめると思うのです。

 

 自分軸といっても『俺はこうしたい、だから君達には関係ない、興味ない』と我流の道を突き進んで人の意見を無視するのではありません。 

 

むしろ、他人の生き方を尊重して、観察して、関心を持って生きていきたいと思っています。

 

人はどんなに同じ学校・経歴を辿ってきても、絶対に同じ考えであることはないと思います。 

 

だから他の方のブログをもっと見たいし、もっと繋がりたいと思っております。

 

 最初の方でもちらっと言いましたが、ブログは『人と人を繋げるツール』だと思っています。 

 

表面上、あなたに1日1つの『小さな』学びを。なんて言ってますが、そんなの私のかっこつけに過ぎません。 

 

これからはもっと泥臭く生きるつもりでいます。 

 

以上で簡単なヨンスの自己紹介を終わります。